ひたちの里
はにわの里

偕楽園レストハウス

   
 
 
   

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徳川光圀公(第二代藩主 義公)

 

       
  光圀公は、寛永5年(1628年)徳川御三家のひとつ水戸徳川家の初代藩主頼房公の三男として水戸城下で生まれました。幼年期は、家臣三木家の子として育てられ、6歳の時正式に子として認められました。江戸小石川の水戸藩邸に移った光圀公は厳格な世嗣教育を受け、34歳の時、寛永元年(1661年)第二代藩主に就きました。大日本史編纂事業は西山荘でも校訂が続き光圀公没後も代々の水戸藩主に受け継がれ、250年の歳月を要して完成しました。歴代総裁の佐々宗淳(介三郎)・安積握澹泊(覚)の二人は助さん格さんのモデルと言われています。藩政としては笠原水道の計画、年貢の自己申告制、宗教でも一村一社制を制定し交易のための巨船「快風丸」の建造も異彩 です。  
     
 

徳川斉昭公(第九代藩主 烈公)

 

 

       
  光圀公以後の水戸徳川家で、名実ともに光圀公の遺徳を継いだ藩主は文政12年(1829年)第九代藩主となった斉昭公でしょう。幕末激動の時代の幕開けです。斉昭公は、寛政12年(1800年)七代藩主治紀公の三男として江戸小石川の水戸藩邸で生まれました。30歳まで部屋住みの身でしたが、兄である八代藩主斉脩公に世継がなかったことから第九代藩主に就きました。藩主に就いた斉昭公は、自ら著した「告志纂」によって、領民のために尽力することを述べ、質素と倹約のすすめ、学校の創設や追鳥狩とよばれた軍事力の強化、現在の一村一品運動による産業の振興など水戸藩の天保の改革とよばれる藩政の改革や会沢正志斎・藤田東湖ら登用し、偕楽園の造営や弘道館の創設を行いました。  
       
 

徳川慶喜公(第十五代将軍)

 

 

       
  慶喜公は、天保8年(1837年)第九代藩主斉昭公の七男として江戸小石川の水戸藩邸で生まれました。幼名を七郎麻呂と称し、父斉昭公の薫陶を受け幼少年時代を水戸で送り、弘化4年(1847年)11歳の時御三郷のひとつ一橋徳川家を相続します。嘉永6年のペリー来航以後は幕政に参画するようになり、有力な将軍後継者としても推され、文久2年に将軍後見職に(26歳)、慶応2年(30歳)には徳川宗家を相続し、30歳にして第十五代将軍に就任しました。幕政近代化に努めましたが、幕府の退勢を挽回することができず、翌慶応3年(31歳)に大政奉還をし恭順謹慎の姿勢をとり、後に謹慎を解かれ公爵となりました。  
       
 

光圀公・斉昭公ゆかりの
常磐神社

 

 

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